2019年09月

所属カウンセラーの岩村です。
台風15号の影響で電車のダイヤが乱れ、駅のホームの列車待ちの人々はいつもの数倍は軽く超えていました。

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いつ来るか、いつ乗れるかわからない列車の為に駅員さんが次の列車の現在情報を数分おきくらいに知らせてくれていました。

「大変ご迷惑をおかけしております‥」

台風の影響なんだから、鉄道会社が悪いわけでもないんだけどな‥と思いながら、そういう気遣いがあるのと無いのとでは待つ側の心理も変わってくる気がします。


AIが発達すれば、電車のシステムというのはほぼ自動化されメンテナンス以外に無人化が可能だと考えられます。

これからの鉄道員に求められるスキルはなんなのか。

ふと駅員さんのアナウンスを聞いていて、それは「お客様のクレーム対応力や満足度を高められるサービスパーソンなのではないだろうか」と感じました。

これは鉄道に限ったことではなく、航空、配送業やタクシーや医療、スーパーなどの販売店でも当てはまることのように思います。

怒りの拳が上がる前にその受け皿を用意する。その役割を引き受ける。そういうことを嫌がらずに率先してできる人というのが、これからの世の中の求められる人材だと思います。


もしかしたら、クレーム対応すらAIの方が立派にこなす可能性だってあります。

僕らは人としてと同時に、仕事をしていく上で心のこもった対応ができるかどうかという点において、

AIに負けない対応力を身につけておく必要があるように思います。


仕事力としても人としても、心の対応力を磨くことを怠らずにいきたいですね。

所属カウンセラーの岩村です。
先週から茶道稽古を月・水・金としました。

そして今日は長板茶通箱の薄茶点前の後半部分の御道具拝見を習いました。
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お茶席では点前の最後に使用した茶道具を披露する時間があって、御客の方に向けて茶道具を並べます。

茶通箱の場合は棗と茶入の両方を使うので、その両方を見せると共に、茶杓と茶通箱も見せます。

置く位置、置く順なども決まっていて、やかましいといえばやかましいのですが、この流れを体得して点前を自然と出来るところを目指します。


半ば理想ではありますが、一挙手一投足に全身全霊を注ぎ、点前と一体となるところを目指す。

点前のもつ美しさとは、そうなった瞬間に眩しい輝きを放つのだと思います。


床の間に飾られた花は灸花。
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灸花と書いて「ヤイトバナ」と読みます。

花の中心部の紅紫色がお灸をすえた痕の色に見えるので「灸花」と呼ばれるそうですが、花冠の部分を舐めて手や顔に貼り付け、子供たちがお灸遊びをしたことに由来するとの説もあります。


花は夏に咲き、秋には黄褐色のパチンコ玉のような丸い小さい果実が沢山つけます。

独特の臭気を持つことから屁糞葛(ヘクソカズラ)とも呼ばれます。

この臭いの正体は「メチルメルカプタン」という成分で、虫の食害から身を守る手段と考えられているそうですが、葉には虫食い痕も見られます。

虫はそういう成分が含まれる植物を食べることで、体内にその成分を取り込んで、外敵から身を守っているんですね。

生の果実を潰したものは、民間薬として古来から虫刺されや霜焼けの薬としても使われてきた歴史があります。


それぞれに由来があり、一方は見た目から。もう一方は臭いから。

捉え方によって違う名がついた花。


僕ら人間も捉え方を変えると、

美しくもあり、醜くもあるのでしょうね。

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所属カウンセラーの清田直芳です。


前回、前々回と、期待と失望の関係、そして「期待はしない方が良い」という意見について思うことを書かせていただきました。


ガッカリって、どうしてするんだろう?

「期待はしない方が良い」という意見について思うこと


今回、期待はしない方が良いという意見について、私なりに思うことを書かせていただきます。あくまで、私個人の意見ですので、「そういう考えもあるんだなあ」くらいに捉えていただければと思います。


まず、個人的な意見を書く前に、2つの前提を書いておきたいと思います。


1つ目は、期待することの弊害についてです。人は期待通りにならなかった時にガッカリしてしまい、そこから自分の気持ちが落ちてしまったり、それが原因で人間関係がギクシャクしてしまう、というようなことがあります。


2つ目は、昔よりも人や環境に期待をする人が増えたということです。


日本は古来から、「万物に神が宿る」と言われている八百万の神の国です。人々は自然を怖れ、敬って生活をしてきました。


神様に囲まれて生活をしている訳ですから、周りの環境をコントロールしようという考えは希薄だったはずです。


しかし、世の中がどんどんと便利になり、人間がコントロールできる領域が広がっていきました。


暑かったらクーラーを入れ、寒かったらストーブを入れる。

お腹が空いたら24時間やっているコンビニがある。

知りたいことがあったら、いつでもスマホで調べることができる。


といった、普段の生活で中でも、受け入れて我慢をするということは減っています。これは、もちろん良いことでもありますが、何でも周りの環境をコントロールできるのでは?と勘違いをしてしまう危険性もはらんでいます。


何か嫌なことがあった時、本来は自分を変えるべきであるのに、環境を変えようとする癖がついてしまっている人が増えているのでしょう。


それが、社会問題として表面化しているのが、クレーマーやモンスターペアレンツといったことなのだと思います。


このような背景があり、「期待をする」という相手に影響を及ぼそうとすることはせず、「期待をしない」という自分の内面を変えることを勧める考え方が、アンチテーゼとして増えたのではないでしょうか。


ここまでが前提の話になります。しかし、そうは言っても「期待=してはいけない」という意見は極端だと思います。


そして、「期待をしない」ことももちろん大切ですが、多くの場合においてそれ以上に大切なことがあります。「期待をしない」という信念が、本来もたらされるはずだった幸福を奪ってしまう可能性があるように思いますので、そのことについて書いていきます。


そもそも、どうして期待をしても、その通りの結果にならないのでしょうか? それは、期待と現実の間にズレがあるからです。


期待をしないという選択をすることで、この期待と現実のズレをそのままにしてしまうケースがあるように思います。


例えばパートナーとの関係において、

「本当は〇〇して欲しいけど、期待してもどうせガッカリするだけだし、、、」

と、期待しない選択をすればガッカリすることは無いかもしれません。しかし、自分の本当の願いに蓋をしてしまうことでもあります。


期待していることは、お互いが理解をしあえば本当は得られる可能性があるのかもしれません。しかし、ガッカリすることを恐れて諦めてしまっては、得られるはずだった喜びも得られなくなってしまいます。


期待しないことよりも、何を期待しているかがお互いに分かるような、人間関係こそが大事なのではないでしょうか。


その為には、自分の気持ちをしっかりと伝えること、そして相手の気持ちに寄り添い、理解しようとすることが必要です。


近い関係であってもお互いに干渉をせず、期待もしない。全ての人と深い部分で理解をしあうのは無理でも、多くの時間を共にするごく近い関係においても、そのような薄い人間関係しかないことは、とても勿体ないように思います。


その第一歩として、良き聴き手になること。まず、相手が何を感じ、考え、期待しているのかを知ることが大事になります。


互いが互いのことを理解しあい、何を期待しているのかが手に取るように分かりあえる遠い未来に期待をして、できる所から始めてみてもいいのではないでしょうか。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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所属カウンセラーの清田直芳です。


前回、ガッカリする気持ちの背景にある、期待と失望の関係について書かせていただきました。


ガッカリって、どうしてするんだろう?


今回はその続きとして、期待と失望との付き合い方について書いていきたいと思います。


この期待というものですが、言葉の意味を調べるとこのように出てきました。



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【期待】

1. 《名・ス他》 ある人がそれをするのを(他の人が)あてにし、心待ちに待つこと。将来それが実現するように待ち構えること。


言葉の正しい意味は上記のようになっていますが、言葉をどのように捉えるかは人により大きく違いがあります。


個人的には、「未来の自分に期待する」というような表現の仕方でも、待つというような受動的な印象を持たないのですが、分解すると「期を待つ」となるので、やはり受け身な状態をさす言葉なのでしょうね。


今回は、自分自身に対する期待の良し悪しは置いておいて、「他人」などの自分がコントロールできないものに対して抱く、期待と失望との付き合い方について書いていきます。


前回の話を要約すると、自分がコントロールできないものへの過度な期待は、その期待を裏切られた時にガッカリ(失望)するので、気をつけた方が良いですよ。

という話でした。


まず、この期待というもののメリットについて考えてみたいと思います。


期待をするということは、ポジティブな未来を想像することですから、そこにエネルギーが生まれます。


家族やパートナー、友人など、喜んでもらいたいという気持ちが原動力となって、頑張った経験は多くの人があるんじゃないでしょうか。


どのような感情もエネルギーになりますから、期待をモチベーションに頑張るのは、場合によってはアリだと思います。


しかし、期待して頑張った結果、期待通りにならないことは数多くあります。自分の気持ちが相手に伝わらない場合もありますし、それが相手の望んでいないこともありますから、それは仕方のないことです。


そのようなことが続いてしまうと、「期待しても、失望するかもしれないから、期待はしないでおこう」という結論になるのも仕方がない部分もあるでしょう。


ネットで検索しても、「期待=してはダメなもの」という意見も見受けられます。


もちろん、勝手に期待をしておいて、期待通りにならなくて不機嫌になるようなことは、あまり良いことだとは思いません。


しかし、だからと言って期待という感情を全否定することには、違和感があります。


どのような感情であっても、それがポジティブにもネガティブにも働くことがあり、要は使い方次第ではないでしょうか。


以前の私も特定の感情に対して否定的でした。具体的には、「怒り」「嫉妬」といった感情です。しかし、そのような感情にももちろんメリットがあります。


「怒り」で言えば、平和な世の中であればマイナスになってしまうことが多いかもしれませんが、死ぬか生きるかという世界では、相手を倒して自分の命や仲間などを守る為のエネルギーになります。


好きな海外のサッカー選手に、ズラタン・イブラヒモビッチという選手がいます。今は年を重ねた結果、ヨーロッパの第一線からは離れていますが、メッシやロナウドと並ぶほどの超一流選手です。


イブラヒモビッチ選手は、自伝の中で「良いプレーをするには、怒り狂わないといけない」と語っています。「怒り」も使いようなんですね。


「嫉妬」という感情については、怒りよりもよりネガティブな印象がありました。嫉妬という感情を見ないようにしていたふしもあったように思います。


しかし、嫉妬にも勿論メリットがあります。まず、嫉妬は自分の願いを教えてくれる役目を果たします。自分のやりたいことが分からない場合、嫉妬している対象の中に、自分の望んでいるものが隠れているかもしれません。


そして、嫉妬も「負けたくない」と思うことでエネルギーになります。


「怒り」と「嫉妬」のメリットについて書いてみましたが、どちらもデメリットになってしまう場合があるのは、皆さんも十分にご存知でしょう。


「期待」「怒り」「嫉妬」以外にも、様々な感情がありますが、どれも一長一短で、表裏一体です。


特定の感情を嫌うのではなく、上手に付き合っていくのが良いのではないでしょうか。


書きながら思うことが出てきたので、少し話が長くなってしまいました。次回は、期待することが良しとされなくなった背景について、私なりに思うことを書かせていただきたいと思います。


最後までお読みいただきありがとうございました。
 

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