タグ:ガッカリ

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所属カウンセラーの清田直芳です。


少し日にちが空いてしまいましたが、セミナーのレポの前まで4回に渡り「期待」をテーマに書いてきました。


今回は期待する気持ちを完全に無くすことは難しい、という前提のもとで、期待をしてガッカリしてしまった時の対処法について書いてみようと思います。


1.捉え方を変える(増やす)


まず、紹介したいのが、捉え方を変えるということです。(増やす)と書いたのは、ガッカリする原因となった相手がいた場合など、「もしかしたら、〇〇かも」という捉え方の数を増やすことが重要になるからです。


例として、誕生日なのにパートナーが何もしてくれなくて、ガッカリしたとします。


その時、

「私のことなんてどうでもいいんだ」

としか捉えることができなかったら、影響力はとても大きく悲しい気持ちになっちゃいますよね。


しかし、

「誕生日を間違って覚えてるのかも」

という、他の可能性を増やすことができれば、その影響は減ります。


その他にも、

「誕生日を忘れてしまうくらい、何か大変なことでもあったのかな?」

というように、捉え方の数を増やしていくことで、もともと考えていたことの影響力は減っていきます。


ここまで書いたのは、相手の背景についてですが、

「それだけ、気を使わない関係になれてるんだなあ」

と2人の関係性について良い捉え方をしたり、


「今回、祝ってもらってないから、自分もやらなくて済んで楽かも」

と自分のメリットだと捉えたり、


「こういう人だと分かったから、いっそのこと別れてしまって新しい人を見つける良い機会かも」

という風に捉えても、ガッカリ感は減りますよね。それが、良い判断かは時と場合によりますが、、、。


普段から柔軟に考える癖をつけておけば、実際にガッカリした時に対処しやすいと思いますので、日常的に色々な捉え方をする練習をしておくのが良いと思います。


2.理解をする


「期待しない」よりも大切なこと


こちらで書いたこととも重なりますが、理解をすることは最も影響力が高いと思います。


捉え方を変えるというのは、多くの状況で使うことが出来て万能ですが、確信度によって効果にばらつきがあります。


ここで言う「理解する」とは、人や物事を深く知ることで、確信するというニュアンスです。


上で書いた、誕生日なのにパートナーが何もしてくれなくて、ガッカリしたという状況の時、相手に話を聴いて理解したらどうなるでしょうか?


パートナーが誕生日なのに何もしてくれなかったことを責める気持ちがあったり、心から理解したいという気持ちが無ければ、逆効果になってしまう恐れもありますが、適切なアプローチができれば効果は絶大です。


心をオープンにして、パートナーのことを理解しようとするとどうなるでしょうか?


もしかしたらパートナーは、

「実は、会社でミスをしてしまって、ものすごい額の損害を出してしまったんだ。毎日、対応に追われていて、ほとんど寝る暇も無いような状態で。誕生日のお祝いを計画していたんだけど、すっかり頭から抜けてしまってた。本当にごめん」

というようなことを、告白してくれるかもしれません。


そのような告白をされたら、どのような気持ちがするでしょうか? おそらく、多くの方はパートナーの辛い状況に共感し、ガッカリした気持ちは無くなるでしょうし、むしろ何とかして元気づけたい気持ちになるでしょう。


理解をすることで心の状態は、全く違うものになります。


そして、これをきっかけとしてパートナーとの深いつながりもできるでしょう。


捉え方を変えるというのは、摩擦や、不都合な事実を感じることを避けることにつながる場合もあります。


もちろん、通りすがりの人と肩がぶつかって無視されたような時に、話を聴いて理解するようなことは非現実的ですが、親密な仲においては「理解する」というアプローチが最も大切だと思います。


シンプルに、誕生日を忘れていただけという場合もあるかもしれませんが、その背景をじっくりと聴いて、理解しようとする気持ちがあれば、必ず良い方向に転がっていくケースがほとんどだと思います。


3.違うものに意識を向ける


これは、グルグル思考と呼ばれるような、同じ考えが何度も浮かんできて、そこから抜け出せない時に効果的です。


誕生日にも関わらずパートナーから祝ってもらえず、かと言って、こちらから誕生日だと言い出すこともできないという状況だと、


「何で誕生日なのに祝ってくれないの?」

「誕生日を忘れるってあり得なくない?」

「絶対に許さない! どうやって仕返ししよう?」


このような考えが次々に浮かんできて、ネガティブな感情が溜まってきてしまうのは、あまり望ましくはありませんよね。


このような時は、違うものに意識を向けるのが効果的です。マインドフルネス瞑想のように、「今、ここ」に意識を向けて、余計な思考が起こらないようにするアプローチです。


いきなりマインドフルネスと言うと、おそらく難しいと思いますので、何でも良いので没頭できることをやりましょう。


写真や塗り絵、折り紙やプラモデルなんかでも良いですし、集中しないとできないようなゲームもオススメです。


個人的には、レベルの高いテトリスがオススメです。あっという間に上から下まで落ちてくるので

、悩みながらプレイすることはとてもじゃないですけどできません。


その他、スポーツでも料理でも、意識を違う方向へ向けられれば良いので、いざという時のために没頭できるものを用意しておくと良いですね。


4.感情を受け入れる


最後に紹介するのは、思考ではなく感情へのアプローチです。


感情を感じることを避けてしまっていては、その感情は解放されません。感じることをせず無いもののように扱われた感情は、いつまでも心の中に残り続けます。


そのようなことが続くことで、カップから水が溢れるように、積もり積もった感情が爆発してしまったり、同じような出来事をきっかけとして、ネガティブな感情に取り込まれたりしてしまいます。


大事なのは、感情をしっかりと受け入れることです。感情をキチンと感じることができれば、その感情は浄化されます。


人間には、生まれつき自然と治る力が備わっています。怪我をしても、放っておけば時間とともに治りますよね。


感情も同じです。しかし、その感情を避けて感じないようにしていては、治ることはありません。傷口を凍結させて、治る機能すらも封印してしまうようなイメージでしょうか。


ガッカリしたら、「私はガッカリしているんだなあ」と感じてみましょう。


時には、あまりに辛すぎてその感情を感じないようにする方が良い場合もあります。そのような時は焦らずに、自分の状態を整えることです。


ネガティブな感情に耐えられる状態だと思えるまで心のエネルギーを高めてから、自分の感情と向き合ってください。


この感情を受け入れるということは、勇気のいることですし、外科手術のように短期的には痛みを伴います。1人では難しい場合は、カウンセラーなどの専門家と行うことが望ましいでしょう。


今日は、ガッカリした時の対処法を4つ紹介させていただきました。この4つは、大きなカテゴリーです。食べ物で例えれば、「肉」「魚」「野菜」みたいな感じです。


肉にも、牛肉、豚肉、鶏肉とあるように、「捉え方を変える」であれば、「論理療法」「認知再体制化」「リフレーミング」のように、細分化されていきます。流派やセラピーの違いはあっても、どれも大きいカテゴリーは一緒です。


トライアル&エラーを続けていれば、いつか必ず良くなるのは間違いありませんので、「きっと良くなる」と信じて、色々と試していただければと思います。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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所属カウンセラーの清田直芳です。


前回、前々回と、期待と失望の関係、そして「期待はしない方が良い」という意見について思うことを書かせていただきました。


ガッカリって、どうしてするんだろう?

「期待はしない方が良い」という意見について思うこと


今回、期待はしない方が良いという意見について、私なりに思うことを書かせていただきます。あくまで、私個人の意見ですので、「そういう考えもあるんだなあ」くらいに捉えていただければと思います。


まず、個人的な意見を書く前に、2つの前提を書いておきたいと思います。


1つ目は、期待することの弊害についてです。人は期待通りにならなかった時にガッカリしてしまい、そこから自分の気持ちが落ちてしまったり、それが原因で人間関係がギクシャクしてしまう、というようなことがあります。


2つ目は、昔よりも人や環境に期待をする人が増えたということです。


日本は古来から、「万物に神が宿る」と言われている八百万の神の国です。人々は自然を怖れ、敬って生活をしてきました。


神様に囲まれて生活をしている訳ですから、周りの環境をコントロールしようという考えは希薄だったはずです。


しかし、世の中がどんどんと便利になり、人間がコントロールできる領域が広がっていきました。


暑かったらクーラーを入れ、寒かったらストーブを入れる。

お腹が空いたら24時間やっているコンビニがある。

知りたいことがあったら、いつでもスマホで調べることができる。


といった、普段の生活で中でも、受け入れて我慢をするということは減っています。これは、もちろん良いことでもありますが、何でも周りの環境をコントロールできるのでは?と勘違いをしてしまう危険性もはらんでいます。


何か嫌なことがあった時、本来は自分を変えるべきであるのに、環境を変えようとする癖がついてしまっている人が増えているのでしょう。


それが、社会問題として表面化しているのが、クレーマーやモンスターペアレンツといったことなのだと思います。


このような背景があり、「期待をする」という相手に影響を及ぼそうとすることはせず、「期待をしない」という自分の内面を変えることを勧める考え方が、アンチテーゼとして増えたのではないでしょうか。


ここまでが前提の話になります。しかし、そうは言っても「期待=してはいけない」という意見は極端だと思います。


そして、「期待をしない」ことももちろん大切ですが、多くの場合においてそれ以上に大切なことがあります。「期待をしない」という信念が、本来もたらされるはずだった幸福を奪ってしまう可能性があるように思いますので、そのことについて書いていきます。


そもそも、どうして期待をしても、その通りの結果にならないのでしょうか? それは、期待と現実の間にズレがあるからです。


期待をしないという選択をすることで、この期待と現実のズレをそのままにしてしまうケースがあるように思います。


例えばパートナーとの関係において、

「本当は〇〇して欲しいけど、期待してもどうせガッカリするだけだし、、、」

と、期待しない選択をすればガッカリすることは無いかもしれません。しかし、自分の本当の願いに蓋をしてしまうことでもあります。


期待していることは、お互いが理解をしあえば本当は得られる可能性があるのかもしれません。しかし、ガッカリすることを恐れて諦めてしまっては、得られるはずだった喜びも得られなくなってしまいます。


期待しないことよりも、何を期待しているかがお互いに分かるような、人間関係こそが大事なのではないでしょうか。


その為には、自分の気持ちをしっかりと伝えること、そして相手の気持ちに寄り添い、理解しようとすることが必要です。


近い関係であってもお互いに干渉をせず、期待もしない。全ての人と深い部分で理解をしあうのは無理でも、多くの時間を共にするごく近い関係においても、そのような薄い人間関係しかないことは、とても勿体ないように思います。


その第一歩として、良き聴き手になること。まず、相手が何を感じ、考え、期待しているのかを知ることが大事になります。


互いが互いのことを理解しあい、何を期待しているのかが手に取るように分かりあえる遠い未来に期待をして、できる所から始めてみてもいいのではないでしょうか。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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所属カウンセラーの清田直芳です。


前回、ガッカリする気持ちの背景にある、期待と失望の関係について書かせていただきました。


ガッカリって、どうしてするんだろう?


今回はその続きとして、期待と失望との付き合い方について書いていきたいと思います。


この期待というものですが、言葉の意味を調べるとこのように出てきました。



きたい

【期待】

1. 《名・ス他》 ある人がそれをするのを(他の人が)あてにし、心待ちに待つこと。将来それが実現するように待ち構えること。


言葉の正しい意味は上記のようになっていますが、言葉をどのように捉えるかは人により大きく違いがあります。


個人的には、「未来の自分に期待する」というような表現の仕方でも、待つというような受動的な印象を持たないのですが、分解すると「期を待つ」となるので、やはり受け身な状態をさす言葉なのでしょうね。


今回は、自分自身に対する期待の良し悪しは置いておいて、「他人」などの自分がコントロールできないものに対して抱く、期待と失望との付き合い方について書いていきます。


前回の話を要約すると、自分がコントロールできないものへの過度な期待は、その期待を裏切られた時にガッカリ(失望)するので、気をつけた方が良いですよ。

という話でした。


まず、この期待というもののメリットについて考えてみたいと思います。


期待をするということは、ポジティブな未来を想像することですから、そこにエネルギーが生まれます。


家族やパートナー、友人など、喜んでもらいたいという気持ちが原動力となって、頑張った経験は多くの人があるんじゃないでしょうか。


どのような感情もエネルギーになりますから、期待をモチベーションに頑張るのは、場合によってはアリだと思います。


しかし、期待して頑張った結果、期待通りにならないことは数多くあります。自分の気持ちが相手に伝わらない場合もありますし、それが相手の望んでいないこともありますから、それは仕方のないことです。


そのようなことが続いてしまうと、「期待しても、失望するかもしれないから、期待はしないでおこう」という結論になるのも仕方がない部分もあるでしょう。


ネットで検索しても、「期待=してはダメなもの」という意見も見受けられます。


もちろん、勝手に期待をしておいて、期待通りにならなくて不機嫌になるようなことは、あまり良いことだとは思いません。


しかし、だからと言って期待という感情を全否定することには、違和感があります。


どのような感情であっても、それがポジティブにもネガティブにも働くことがあり、要は使い方次第ではないでしょうか。


以前の私も特定の感情に対して否定的でした。具体的には、「怒り」「嫉妬」といった感情です。しかし、そのような感情にももちろんメリットがあります。


「怒り」で言えば、平和な世の中であればマイナスになってしまうことが多いかもしれませんが、死ぬか生きるかという世界では、相手を倒して自分の命や仲間などを守る為のエネルギーになります。


好きな海外のサッカー選手に、ズラタン・イブラヒモビッチという選手がいます。今は年を重ねた結果、ヨーロッパの第一線からは離れていますが、メッシやロナウドと並ぶほどの超一流選手です。


イブラヒモビッチ選手は、自伝の中で「良いプレーをするには、怒り狂わないといけない」と語っています。「怒り」も使いようなんですね。


「嫉妬」という感情については、怒りよりもよりネガティブな印象がありました。嫉妬という感情を見ないようにしていたふしもあったように思います。


しかし、嫉妬にも勿論メリットがあります。まず、嫉妬は自分の願いを教えてくれる役目を果たします。自分のやりたいことが分からない場合、嫉妬している対象の中に、自分の望んでいるものが隠れているかもしれません。


そして、嫉妬も「負けたくない」と思うことでエネルギーになります。


「怒り」と「嫉妬」のメリットについて書いてみましたが、どちらもデメリットになってしまう場合があるのは、皆さんも十分にご存知でしょう。


「期待」「怒り」「嫉妬」以外にも、様々な感情がありますが、どれも一長一短で、表裏一体です。


特定の感情を嫌うのではなく、上手に付き合っていくのが良いのではないでしょうか。


書きながら思うことが出てきたので、少し話が長くなってしまいました。次回は、期待することが良しとされなくなった背景について、私なりに思うことを書かせていただきたいと思います。


最後までお読みいただきありがとうございました。
 

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所属カウンセラーの清田直芳です。
 

普段、生活をしていてガッカリすることってありますよね。このガッカリという感覚ですが、なかなか曲者だったりします。それがきっかけでイライラしてしまったり、やる気を失ってしまったり。ガッカリさせられた相手に怒ってしまうようなこともあるかもしれません。
 

このガッカリという気持ち、つまり失望した時のことを振り返ってみると、共通する一つの感情があることが分かります。
 

失望の前にあるもの。それは、期待です。
 

この期待と失望の関係について、とても印象に残っている出来事があるので、紹介させていただきますね。
 

私は以前、特別養護老人ホーム(通称、特養)という形態の施設で、ケアワーカーとして働いていました。特養では、ご高齢の要介護状態の方々が24時間生活されています。
 

ケアワーカーが常にいないといけないので、施設は年中無休です。月に4回ほど夜勤に入らないといけませんでした。この夜勤がとにかく辛かったんですね。
 

夜勤は2回の勤務を1回の勤務でこなすので、労働時間は日勤などと比べると倍になります。夕方から始まり仕事を終えるのは朝です。帰宅するのが昼を回っていることも日常茶飯事でした。
 

睡眠不足で免疫力が下がってしまい、もともと肌の弱かった私は、常に手や腕が荒れてしまっていました。夜勤の仕事をしなくなってからは、肌荒れはほとんどなくなりましたので、どれだけ夜勤が負担になっていたかが後になって分かりました。
 

この辛かった夜勤ですが、その日によって辛さには違いがあります。ショートステイという、普段はご自宅で暮らしている方が、短期間だけお泊まりをするというサービスがあります。
 

認知症でご自分の状況が理解できなくなってしまった方の中には、家に帰ろうとして夜中じゅうフロアを歩かれているような方もいます。そのような方が転んでしまうリスクが高い場合は、ずっと付き添っていないといけないこともあるんですね。
 

そうなると、途端にその日の夜勤は辛いものになってしまいます。段々と、「今日の夜勤は何もないといいなあ」「平和だといいなあ」と思いながら、夜勤の仕事をするようになりました。
 

そのように思いながら仕事をしていると、何か大変なことが起こってしまった時、「ああ、ついてない」とガッカリしてしまうんですね。夜勤に入るたび、「今日も忙しかった」「今日も大変なことが起きた」と考えながら仕事を続けていました。
 

そのような夜勤ライフを2、3年続けていましたが、ある日ハッと気付いたんですね。
 

「毎回、何もないといいなあ、って思っていたけど、何もない日なんてほとんどないぞ」って。
 

何十人ものご高齢の要介護者が生活されているんですから、小さなことは何かしら起こるんですよね。約5年間、夜勤の勤務に入っていましたが、「今日は何も無かったなあ」っていう日は、5回くらいしかなかったように思います。
 

年に1回のペースです。たった年に1回しかない「何もない夜勤」を期待して、毎回ガッカリしていたんですね。
 

「何かあるのが当たり前なんだなあ」
 

私の中で考え方が切り替わった瞬間でした。何かあるのが当たり前だと思うと、ものの見方がガラッと変わり、憑き物が落ちたように心が軽くなったのを覚えています。
 

その後の夜勤では、何もないことを期待しなくなりましたので、何か不測の事態が起こっても「やっぱり、今日も何か起こったなあ」と、以前よりも軽い気持ちで受け止められるようになりました。
 

このように、自分が勝手に期待をすることが、後の失望につながっていることが数多くあります。
 

もし、普段の生活でガッカリすることが多く、それが不幸の原因になっている可能性があるのであれば、過度な期待は控えた方が良いかもしれません。
 

今回は、期待と失望の関係について書かせていただきました。次回は、期待と失望との付き合い方について書いてみたいと思います。
 

最後までお読みいただきありがとうございました。
 

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