ここ3回ほど、「期待」をテーマに書いてきました。
今回は、そもそも期待しないことはできるのか?ということについて書いていきます。前回と同じくあくまで個人的な意見ですので、正しいかどうかは分かりません。考えるキッカケにでもしていただければ幸いです。
「期待をする」と一口に言っても、2種類あると思います。自分からする期待と、気づいたらしてしまっている期待です。
この、自分からする期待についてはコントロールできますが、後になって「期待してたんだなあ」と知らず知らずのうちにしてしまう期待は、コントロールできるのでしょうか?
個人的には、かなり難しいんじゃないかと思います。できないとは言い切れませんが、仏教で言う悟りのようなものではないか、と。
例えば、あなたが今日誕生日だったとします。数日前から友達に「◯日空けといてね」と伝えられ、友達の家に呼ばれました。
「何の用?」と聞いても「まあまあ、ちょっとね」と話をにごされ、
「ちなみにだけど、甘いものって食べられるよね?」
「最近、これ欲しいなーっていうものあるの?」
などを聞かれ、
当日、「鍵空いてるから、中に入ってきてー」とメッセージを送られ、
友達の家に入ったら部屋の中は真っ暗、暗闇から「パン!パン!パン!」とクラッカーの音が鳴り、
パッと明かりがつくと、仲の良い友達が勢ぞろいしている。
ここまでされて、誕生日パーティーを期待しないことってできるのでしょうか?
まず間違いなくしちゃうと思うんですよね。ここまでされて、実は誕生日パーティーじゃないっていうのはかなり悪質ですし、まあ普通は有り得ないでしょうけど、もしそうじゃなかったとしたらガッカリするのは仕方ないと思います。
これは極端な例ですが、過去の経験から、不確かな未来を確定した未来と間違って認識してしまうことは、多くの人が体験していると思います。
私たちは日々、様々な刺激を外から受けていますが、その刺激から未来の出来事を予測しています。
赤信号を見たら止まるというのは、人間が生まれつきもっているものではありません。後天的に学習をしてできたものです。
このように慣れた出来事であれは、完全に無意識で行われています。熱いものに触れたら、瞬間的に手を離すという反射と同じような状態です。
無意識でやっているから、素早く行動できるという部分もありますし、エネルギーの消費を減らすということもできます。これは、絶対に必要な機能です。
そして、この学習のメカニズムは、意識をしていなくても、日々、刻々と起こっていることです。「〇〇になったら、〇〇だろう」という予測を自然としているんですね。
期待をしないというのは、この未来を予測する機能を止めてしまうか、全ての出来事を顕在化させて、別の可能性を探るということをしないとできないように思います。
どちらも、現実的にできるとは思えませんし、できたとしてもデメリットが多すぎます。
ですから、期待はしてしまうものと割り切って、期待してガッカリした時にどう対処をするかを考える方が望ましいと思います。
次回は、この期待をしてガッカリした時、どのように対処することが望ましいか、ということについて書いてみたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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