所属カウンセラーの岩村です。

先日、心理学の先駆者であるフロイトとユング、そしてその両者の患者でありユングと愛を交わしたザビーナ・シュピールラインを描いた映画「危険なメソッド」を観ました。

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映画の中では心の奥にある感情をあぶり出そうとする「言語連想テスト」やユングとフロイトが意見交換するシーンでは「夢分析」なども描かれていますし、現在はフロイト博物館になっているフロイトの実際の住居も使われていたり、フロイトが実際に使っていた机も映画の中に登場し、心理学の大家である彼等がどのような時代を生き、どのような生活をしていたのかを垣間見れるのも見どころです。


映画を観て気になったのはどうして「危険なメソッド(原題:A Dangerous Method)」と題したのか。そしてザビーナ・シュピールラインとは実際にどのような人であったのか。


これが気になって調べてみたのですが、公式サイトにはこう書かれています。


“私たちは相手の“心”を見る時、同時に自分自身の“心”と向き合うことになる。なぜなら“心”は目には見えないからだ。ユングは妻がありながら、サビーナの心の奥を見る行動を通じて、自身の中に息づいていた欲望を発見する。それは、心を研究する者にとっては貴重な発見だ。しかし、それは後ろめたさと焦りと恐怖に満ちた“危険なメソッド(方法)”でもある。”


またタワレコオンラインの前島秀国さんの記事が映画音楽から考察してタイトルに言及しているのが面白かったので紹介します。


“ここ30年の資料研究が明らかにしたように、ユングとザビーナは一時期恋愛関係にあり、ユングはその関係を〈治療〉に生かした。当然のことながら、クローネンバーグ(監督)はその関係をリアルに映像化しているのだが、セックスは言うに及ばず、ユングがザビーナをスパンキングする場面に至っては、おそらくユング派信奉者のほとんどが卒倒してしまうに違いない。

だが、クローネンバーグは露悪的な描写で満足することを潔しとせず、ふたりの関係の根底にあった〈ある要素〉まで遡って描こうとした。

その要素とは、ワーグナーの『ニーベルングの指環』(の根幹をなすジークフリート神話)に対する深い関心である(これも史実に基づいている)。


そこで、クローネンバーグの長年の相方である作曲家ハワード・ショアの登場だ。先に触れたスパンキングの場面で、ショアは『指環』に出てくる《ヴェルズングの動機》を編曲して静かに流す。《ヴェルズングの動機》は『指環』の中で、双子の兄妹ジークムントとジークリンデのインセスト・タブーを象徴している。つまり、ユングとザビーナは(双子の兄妹さながらに)背徳的なタブーを犯すことで、それを〈治療〉に生かしているわけだ。それこそが『危険なメソッド』というタイトルの意味に他ならない。”


映画の中で流れている音楽にそんな意味を込めていたとは、驚きです。

ユングとザビーナの間で交わされる“危険なメソッド”。

のちに心理学の大家と評される人物であり、平穏な家庭を築きながらも患者との関係に溺れてしまうユングの欲望や弱さや脆さ、危うさ。


生涯の中でザビーナ以外にも関係をもったユングの人間性や倫理観は、映画の中でも登場するフロイトの依頼によって受け持った患者オットー・グロスの影響が強いのかもしれないが、治療者と患者の間で起こる転移や逆転移の問題は、カウンセリングにおける大いなる課題の一つだと改めて感じずにはいられなくなります。


そしてザビーナ・シュピールラインについてですが、1904年にザビーナが18歳の時にブルクヘルツリ精神病院に入院しユングと恋に落ちます。


ユングとの年齢差は10歳だから、ユングはこのとき28歳ということになります。

1911年にザビーナが統合失調症の論文を提出して医学部を卒業するまでユングとの関係は続いたというから、7年間というかなり長期間に渡って関係は続いたことになります。


映画ではザビーナ役をキーラナイトレイが演じたが、果たしてどのような容姿の人物だったのだろう。

調べていくと「ザビーナ・シュピールラインの悲劇」という本が出版されていて、表紙に彼女の写真が載っています。

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何歳の時の写真なのでしょうね。

書評がネットででてくるのでいくつか見ていくと、ザビーナとユングとの恋愛関係が匿名の手紙で親に知られ、ザビーナの母親がユングを責める手紙を書くと、ユングは「無料の治療だからそうなるのもしょうがない」と開き直りったり、

 またザビーナがユングに論文を送ると、ユングはザビーナに対しては褒めながらフロイトへの手紙では酷評したりといった話が出てくるようで、ユングの人間性はかなり問題を感じますね。


このザビーナという女性、ユングの愛人というレッテルを貼られて精神分析家としての評価が浅かったのですが近年見直されているとのこと。

ただ、表題が「悲劇」とあるように、彼女は非業の死を遂げてしまいます。

彼女がいたソ連で彼女の三人の弟たちは次々とスターリンの粛正によって処刑。19428月、彼女は侵攻してきたドイツ軍のユダヤ人狩りによって彼女の二人の娘とともに殺害されてしまいます。


裕福な家庭に生まれながらも統合失調症を患い、後に世界的に有名な心理学の大家となるユングと恋に落ちたザビーナ。彼女の人生のなかで、幸せだったと言える時期はいつの時をいうのだろうと

断片的な情報しか持ち合わせていないながらも、なにかこう、切なさが胸をかすめます。


女性は男性に寄って大きく運命を変える存在のように感じます。もしかしたら令和という時代を迎えた今もあまり変わらないのかもしれません。

それを踏まえてもなお、いかに生きるのか。

人生において大切なのは、いかなる環境・条件のもとであっても、自分の意志として何を選び行動するかなのではないでしょうか。


2つの世界大戦という過酷な時代に翻弄されながらも必死に生き、数奇な運命を辿ったこの1人の女性に敬意を表しつつ、戦争のないこの日本において平和というものの大切さを改めて大事にしていきたいものですね。